ラフカディオ・ハーン

(1850-1904)

伝記

ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日に、アイルランド系イギリス人であった英国軍軍医の父と、ギリシア人の母の間に、ギリシアの島レフカスで生まれた。6歳の時に両親は離婚し、その後はアイルランドのダブリンにて、大おばによって養育された。16歳の時に左眼を失明し、その後ほどなくして父を亡くした。一年後には大おばの破産のために、学校も退学しなければならなかった。19歳の時にオハイオ州シンシナティに移住し、5年後そこで新聞記者になった。文学書の翻訳やその他の仕事でかなりの成果を挙げたので、ハーパー出版社に採用されることになった。

ハーンは1889年に日本行きを決め、1890年春に横浜に着くと、東京帝国大学のバジル・ホール・チェンバレン並びに文部省官吏の助力を受けた。彼等の勧めによって、1890年の夏には松江に赴き、島根県尋常中学校及び師範学校にて英語を教えることとなった。その地で、県知事籠手田安定と西田千太郎の知己を得、後に藩士の家柄の娘、小泉セツと結婚した。

松江に15ヵ月滞在してから、九州熊本にある第五高等中学校の教職に転出した。そこでは3年間を過ごすことになるが、その間に『知られぬ日本の面影』(1894) を完成した。1894年10月に英字新聞『神戸クロニクル』の記者の職を得た。1896年にはチェンバレンの助力もあって、東京帝国大学文科大学にて英文学の教授を開始する。この身分は1903年まで継続し、その後早稲田大学に移った。1904年9月26日心臓発作により逝去、享年54歳であった。

ハーンの代表作は講義案を集成した次の書である:『神国日本』(1904)。他に日本に関する書としては以下のものがある:『異国情趣と回顧』(1898)、『霊の日本』(1899)、『影』(1900)、『日本雑記』(1901)、『怪談』(1904)。